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    かけはし2021年2月8日号

ナワリヌイ釈放を求める


ロシア

1月23日の大規模抗議は継続の態勢に

イリヤ・ブドライツキス


 1月23日、ロシアで大規模な抗議行動が行われた。主な統一的要求は反政権派指導者のアレクセイ・ナワリヌイの釈放だった。彼は1週間前、ベルリン(彼は毒を盛られた後そこでリハビリ治療を受けていた)から帰国した直後に逮捕されていた。
 彼の逮捕を受けた集会前夜、ナワリヌイのキャンペーンチームは、ウラジミール・プーチンの秘密宮殿に関するビデオを放映した。ちなみにこの宮殿には約1000億ルーブル(約1300万ドル)のコストがかかり、驚く程の絢爛、無分別なものだった。経済停滞、高まる一方のインフレと失業を背景に、この宮殿の話は、腐敗の例としてだけではなく、現代ロシアにおける並外れた社会的不平等の見せつけとしても、圧倒的に(現時点でユーチューブ視聴が9000万回以上)響き渡った。
 権力に近い高位の官僚や寡頭支配層がそこでの主要人物だった以前のナワリヌイの調査とは異なり、今回その対象は権威主義的指導者自身なのだ。そしてその維持されてきた人気が最近まで、体制に正統性を与えてきたのだ。
 驚くことではないが、この映像の公開と街頭への呼びかけは、当局者からのパニックにかられた反応を巻き起こした。あらゆる学校と大学では「予防的」対話が行われ、学生には、抗議行動への参加は「問題」になるだろうとの情報が伝えられた。またすべてのTVチャンネルは、宮殿は本当はプーチンのものではない、彼は禁欲的なくらし方の方を好んでいる、と説明した。
 加えて、集会前夜にはナワリヌイの中心的活動家すべてがさまざまな口実で逮捕された。当局によるこれらの行為の効果は正反対になった。つまり1月23日の抗議はその参加者数で、この10年のあらゆる反政府派集会を上回った。
 しかしながらその主な質的変化は、抗議の地理的な拡大だった。ウラジオストック、イルクーツク、サマラ、カザン、のような主な地域の中心、また多くの他のところでは、数千人の民衆が街頭に繰り出した。クレムリンのメディアが変わることなく、抗議行動を主にはソーシャルメディアに影響を受けたティーンエージャーの娯楽と描こうと努めた事実にもかかわらず、現実には、参加者の過半は20代から40代の若い労働者だった。ロシアの諸地域における何千という人々の出現(抗議行動は国中のおよそ120の都市で行われた)は、反政府抗議行動が以前には一度も集会に参加したことがなかった新たな聴衆を引き入れることができた、ということを示した。
 これまではモスクワよりも政治的により受動的と見られていたサンクト・ペテルブルグでの抗議行動は、想定外の大きさだった。なんとここでは、3万人の人々がこの都市の主要な通り、ネベスキー街を行進し、次いで有名な上院広場を占拠した。モスクワでは、約4万人が登場し、当局の攻撃的な諸行為に立ち向かった。すなわち1日を通して市の中心部で警察との公然とした衝突がいくつかあり、約1300人の逮捕者を出した。
 抗議のこの新しい質、伝統的なリベラル反政府派の外部にあった一層の広がりを見せる層の包含は、左翼の参加に向けより大きな好機をも提供している。それゆえロシア社会主義運動は、モスクワ、サンクト・ペテルブルグ、エカテリンブルグでそのスローガンとさまざまな宣伝物を携え集会に参加した。さらにイツェフスクでは抗議行動参加者の隊列を率いた。
 1月23日の集会の後、ナワリヌイの本部は、彼らが毎週集会を開催するつもりだ、と公表した。そうした呼びかけが抗議運動の成長にどれほど力を貸すかを言うことは難しいとはいえ、早くもはっきりしていることは、1月23日後それはすでに質的に新しいレベルへと移行した、ということだ。(2021年1月26日)

▼筆者は、第4インターナショナルロシア支部の「プペリョード(前進)」の一指導者。またこの組織は2011年にロシア社会主義運動(RSD)の創設に参加した。(「インターナショナルビューポイント」2021年1月号)




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